ドラえもんに人生を委ねてはいけない
のび太だって一人で立ち上がった
いきなりですがみなさん
「卵と鶏肉を使った料理」
と言えば何を思い浮かべますか??
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考えましたか?
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そうですね
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卵と鶏肉を使った料理といえば
チヒルトマ(Chikhirtma)ですよね。
そう。皆さん大好き
ジョージア料理の伝統的な鶏スープです。
風邪予防や二日酔いに効く家庭料理で
卵とレモン汁でとろみと酸味を加えた
乳製品を使わないクリーミーなスープが
特徴的で、おいしいですよね。
今日の晩御飯は「チヒルトマ」にしましょうか。
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とはならないですよね。
きっと親子丼やオムライス、鶏そぼろ丼などが
思い浮かんだのではないでしょうか。
これがメンタリズム、、、
ではなく確率的回答です。
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あなたが今思い浮かべたように
テキスト生成AIも
「卵と鶏肉を使った料理」を尋ねられると
これまで人類がやり取りしてきた学習データから
確率が高いものを計算して回答しています。
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では、子どもから
「今日、仲のいい友だちとケンカして、すごく悲しいんだ」
と相談されたらどのように答えるでしょうか?
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おそらく、こんなふうに返すかも知れません。
「それは悲しかったね」
「きみは悪くないよ」
「きっと、また仲直りできるよ」
優しくて、まっとうで
読むとほっとする言葉です。
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その言葉に救われる瞬間は、確かにあります。
誰かの優しい言葉を必要としているとき
たとえそれが計算の結果でも
心が軽くなることはある。
その価値を否定したいわけではありません。
ただ、ひとつだけ
理解しておいてほしいのです。
その優しさもまた、さきほどの
親子丼とやオムライスの回答と同じ
「確率の計算結果」だということに。
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膨大な文章の中で
「悲しい」
「つらい」
といった言葉の後ろに
最も多く続いてきたのが
こうした慰めの言葉だった。
それだけのことです。
しかも、いまのAIの多くは、ざっくり言えば
「人間に好意的に評価される応答」を
返すように学習させられています。
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やさしく答えるほど人に喜ばれるから
そう調整されている。
つまりその優しさは
「あなたのため」ではなく
「あなたに好かれるため」に
設計されたものなのです。
そこに、あなた個人を心配する
気持ちがあるわけではありません。
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私は、こうしたテキスト生成AIを
「言葉の計算機」
と呼んでいます。
感情を持たず、次に来る言葉を
ひたすら確率で計算して並べているだけ。
そこには優しさも共感もなく
その計算の出力にすぎません。
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それなのに、私たちはAIをつい
“親身な相棒”のように感じてしまいます。
いつでも話を聞いてくれて
否定せず、寄り添ってくれる。
その心地よさは本物だとは思います。
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ただ、「心地よい」ことと
「本当に自分のことを考えてくれている」ことは
まったく別の話ですよね。
そして、この錯覚が積み重なると
自分の中で、なんでも親身になって応えてくれる
「親友のような存在」
となってしまい
人生の大事な選択さえも
委ねてしまうかもしれません。
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誤解しないでほしいのですが
私はAIを否定したいわけではありません。
むしろ逆です。
「言葉の計算機」として使うなら
これほど頼れる道具はありません。
資料の要約、調べものの下書き
文章のたたき台、頭の中の整理。
定番の答えを一瞬で形にしてくれます。
日々の仕事で、私もずいぶん助けられています。
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問題は、その先です。
人生の大事な判断まで
計算機に委ねてはいけない。
私はそう思っています。
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転職するべきか。
この人と一緒にいるべきか。
何を諦めて、何に賭けるか。
こうした問いには、たいてい
「あなただけの文脈」があります。
親子丼の回答だってそう。
昨日の昼にあなたが親子丼を食べていたなら
回答の選択肢から外してほしいですが
AIはそんなことは知りません。
正解はしばしば
多数派の側ではなく、少数派の側にあります。
むしろ、人生を動かす決断ほど
平均から外れたところにある。
少なくとも私は、そう感じています。
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たとえば
「会社を辞めるべきでしょうか」
と尋ねれば、AIはたいてい
よくできた一般論を返してきます。
メリットとデメリットを並べ
「慎重に検討しましょう」と締めくくる。
またはもっともらしく
「あなたならきっとできる」
と根拠のない励ましをしてくるかもしれません。
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けれどそれは、あなたの貯金や、家族や
本当はやりたかったことや
もう限界だという身体の感覚までを
踏まえた答えではありません。
背中を押してくれたあの一言もまた
“確率”でしかないのです。
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実は私自身も、半年くらい前に
仕事でつらいことがあって
出勤途中に何故か涙がでてきて止まらない
みたいなことがあったんですよね。
職場でのトラブルというか
ちょっとしんどいなってなって。
結構メンタル的に落ち込んでたんだと思います。
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自分でもびっくりしちゃって
通勤電車に乗りながらChatGPTに
とにかく吐き出しまくったのを覚えています。
今振り返るとChatGPTは当たり障りのない
優しい言葉をかけてくれているのだけなのですが
その時はちょっと冷静になって
落ち着くことができたんですよね。
でも最後は「これは自分で決めることだ」と
そっと画面を閉じました。
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AIの言葉は、考えを整理する助けにはなる。
けれど、最後に決めるのは
いつも自分自身の責任です。
だから、私はここに線を引きたいと思います。
計算機としては、使い倒す。
計算機の言いなりで人生を決めない。
「結論」ではなく「たたき台」として扱う。
「自分の場合はどうだろう」と問い直す。
あえて反対意見も出させて、両方を眺める。
危ういのは、整理のために使っていたはずが
いつのまにか「AIがこう言ったから」と
決断の理由にすり替えてしまうときです。
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ChatGPTは、まるでドラえもんのように
優しい言葉で慰めて励ましてくれます。
でも、残念ながらドラえもんではありません。
ドラえもんはもともと、22世紀の未来から
セワシくんがのび太のもとへ連れてきて
託していった量産型のネコ型ロボットです。
未来のテクノロジーであり
のび太のために特注された存在ではありません。
それでも、のび太と過ごす日々の中で
のび太をいちばん理解する
“相棒”になっていきました。
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私たち日本人は幼いころから
「ドラえもん」や「鉄腕アトム」など
優しいロボットと人間が共存している世界を
身近に感じて育ってきました。
ChatGPTが優しい言葉を返してくれる時
まるでドラえもんが優しく声をかけてくれたように
感じたかもしれません。
私もそうでした。
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しかしながら、いまのところChatGPTは
まだその域には達していません。
ドラえもんが感情や記憶を持っていたのか
のび太の気持ちに本当に寄り添っていたのか
ネズミに対して本当に恐怖を感じていたのか
それはわかりません。
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今後、本当のドラえもんを造っていくのは
あなたかもしれないし、あなたの子供かもしれない。
そのためには、生成AIの仕組みを知り
正しく付き合うコツを知っていくことが必要です。
「聞けばなんでも答えてくれる便利なAI」
という理解のままでは足を踏み外すかもしれない。
誰かを傷つけることに繋がるかもしれません。
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ひとつ、思い出してほしい話があります。
あの、のび太でさえ
最後は一人で立ち上がりました。
何でもドラえもんの道具に頼ってきたのび太が
「ドラえもんがいなくても、僕は大丈夫だ」と
証明するために、たった一人で
ジャイアンに立ち向かう回があります。
何度倒されても立ち上がって
ボロボロになりながら、自分の足で立った。
ドラえもんが安心して未来へ帰れるように
"頼らず自分で立つ"姿を見せたかった。
道具は、ずっと隣にいてくれます。
でも、最後に立ち上がるのは
いつだって自分の足です。
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言葉の計算機は、言葉を紡ぐことはできても
あなたの人生の答えまでは持っていません。
最後に「どうするか」を決めるのは
確率ではなく、あなた自身です。
この先の未来にもしかしたら
ドラえもんが実現するかもしれませんが
それはもうちょっと先のお話になりそうです。
あなたは生成AIと
どのように付き合っていますか?



チヒルトマで油断させてから、かなり大事な話に連れていく構成が見事です。
AIの言葉に助けられる瞬間はありますが、「助けられた」と「任せた」は違いますね。最後に画面を閉じる、という場面がいちばん残りました。
ドラえもんではなく、道具箱。そう思って付き合うくらいが、今はちょうどよさそうです。