なぜ彼は「ポケットピカチュウ」を持つのか
28年の時を超えて活躍するデジタルデバイス
今朝、通勤電車待ちのホームで「ポケットピカチュウ」(を装備する男性)を目撃しました。
当時は小学生だった私も(あなたも)懐かしい思い出が蘇ってきて、投稿には同世代と思われる方々からのリアクションをいただきました。
懐かしさをそこそこに噛み締めつつ、頭の片隅では疑問が止まりません。
令和の今?
ポケットピカチュウを持って?
通勤電車に乗って?
どこいくの?
何してる人?
当時から使ってるの?
今も売ってるの?
通勤中の頭は、「ポケットピカチュウとその男」に支配されてしまいました。
なぜ今「ポケットピカチュウ」なのか
近頃はポケモン×歩数アプリといえば「ポケモンGO」がありますよね。
道端の変なところで立ち止まってスマホ画面をクルクルしている人はおおよそポケモンGOですよね。
「近頃は」といいましたが、リリース日を調べてひっくり返りました。
つい数年前だと思うじゃないですか。
なんとびっくり、ポケモンGOのリリース日は
2016年7月22日
リリースされてそんなに経つんですか。時の流れ早すぎますね。恐ろしい。
ポケットピカチュウが発売されたのは1998年。
私は小学校2年生でした。
毎週火曜日、プールに通ってましたが、ポケモンの放送時間と被ることが嫌で辞めた記憶があります。ポケモンの力は偉大ですね。
その1998年に発売された「ポケットピカチュウ」を28年の時を経てなお使っているのは何故なのでしょうか。
「ポケモンGO」「ドラクエウォーク」「ピクミンブルーム」などなど、ウォーキング系のアプリはたくさんありますよね。
実際に、歩行アプリによって中高年の歩行数が上がったという研究も多く出るくらい生活習慣の改善に役立っているのは間違いないです。
しかしなぜ、位置情報もない、通信もない、バトルもない、ログインボーナスもない「ポケットピカチュウ」なのか。
疑問は止まりません
万歩計って今時どうなのよ
そもそもスマホ普及率98%と言われるこの2026年に「万歩計」ってどうなのだろうか。
スマホの位置情報とジャイロセンサーによって、日々の歩数だけでなく階段の昇り降りまで計測されている時代です。
これまた気になってちょちょっと調べてみました。
意外と最新のものも出してたりするんですね。タニタさん。
万歩計としての機能としてはこれ以上、進歩の余地がなくデザインを変更するくらいしか新機種を出す余地が無さそう。
それもそのはず。
2005年に一時ブームを迎えたものの歩数計は圧倒的に縮小市場で、2015年にはすでにスマートウォッチにその座を奪われている状態なんですよね。歩数だけでなく、GPSや心拍センサーなどが搭載されており、歩数だけでなく歩いた距離や心肺機能のチェックまでしてくれる。
機能を比べれば、歩数のみを計るモノはどうしても負けちゃいますよね。
またしても彼が「ポケットピカチュウ」を付けている理由から遠ざかってしまいました。
ここで、あらためて彼の立場に寄り添い、令和のいまこそ「ポケットピカチュウ」を持ち歩く意義を考えていきたいと思います。
単機能が排除する雑念
振り返ればケータイ電話の進化とともに1つのデバイスに機能がたくさん詰め込まれて「多機能化」が進んできました。大して見もしないのに「ワンセグ機能搭載」のケータイに憧れた時期もありました。
SNSも動画視聴もゲームも勉強も写真もビデオも全部スマホ一つで出来てしまう。
スマホさえあれば財布もいらないし家の鍵もかけられちゃう。
そんな中「ポケットピカチュウ」はどうでしょうか。
通信もできないし、位置情報も取得しない。
昨日の歩数も見られない。
唯一できることは
「たくさん歩いてピカチュウと仲良くなること」
だけです。
実に素晴らしい。
スマホで起きがちな
・勉強しようと思ってゲームをしてしまったり
・読書をしようと思ってSNSに入り浸ってしまったり
といった横道がありません。
誰かにピカチュウの姿をシェアすることもなく、歩数を友達と競うこともなく、バトルをすることもなく、ただただピカチュウの可愛い姿と向き合うことに集中できます。
気を抜くと「つながり過ぎてしまう」時代
思えば私たちは今、わざわざお金を払ってまで「不便」を取り戻そうとしています。
通知の来ないガラケーにあえて戻す人がいる。スマホを持たない日を意図的につくる人がいる。「デジタルデトックス」なんて言葉まで、すっかり市民権を得ました。ソロキャンプがブームになったのもあえて一人になる時間を取り戻すためかも知れません。
便利を突き詰めた先で、私たちはようやく、便利すぎることの疲れに気づき始めているのかもしれません。
SNSだってそうです。フォロワー数やインプレッションの競い合いに疲れてしまって、Substackに居心地の良さを感じたのではないでしょうか。また同じ様に競い合ってしまわないよう向き合い方には気をつけていきたいですね。
そして「ポケットピカチュウの彼」はどうでしょうか。
ただ、ポケットピカチュウを付けて歩いているだけ。通知は来ないし、比べる相手もいない。昨日より歩けたかどうかで一喜一憂することもない。あるのは、たくさん歩けばピカチュウが少し懐いてくれる、それだけの世界です。
歩数を「記録」するのではなく、歩くことを「楽しむ」。
数字を追うのではなく、小さな相棒との距離を縮める。
同じ「歩く」でも、ずいぶん違って見えてきました。
彼は、時代遅れなんかじゃない
最初、私は彼を「令和にまだ万歩計?」と、少し不思議なものを見る目で眺めていました。でも、考えれば考えるほど、むしろ逆かもしれない、と思えてきます。つながり過ぎる時代に、あえて何ともつながらない道具を選ぶ。
機能を足すのではなく、削ぎ落とす。
アプリやサービスを作るときもついつい機能を沢山足してしまいたくなりがちですが、本当に使いたい機能に集中するために要らないモノはつけない方が良いのかもしれませんね。
結局、彼がどこへ向かっていたのか、何をしている人なのかは、もちろんわかりませんでした。ただ、帰りの電車を降りる頃には、私の頭の中の「ポケットピカチュウとその男」は、朝とは少し違う姿になっていました。
時代に取り残された人、ではなく、自分にとって心地よい距離を、ちゃんと知っている人、だったのかもしれない。
またホームで彼に会えたら、今度は少しだけうらやましく思ってしまうのかもしれません。
以上、ポケットピカチュウについて考えた1日でした。






私も持ってました‼️
流石に、今は使ってない🤣
実家で眠ってると思う…
ちょっと前にたまごっちが流行ってたのも同じような感じかもしれませんね😆